コロナとマスコミ

マスコミが世論を先導する社会でいいのだろうか

ジャニー喜多川氏と伊藤詩織さんのme too つまみ食いされるリベラル

ジャニー氏の性加害疑惑については過去にも複数の被害者の訴えがあって週刊誌レベルでは取り上げられていたが、まだ一度もテレビや新聞で取り上げられていないと思う。少なくとも私は見聞きしていない。どの局も扱わないというのが軍隊のような統率で、なんか怖いなと感じていた。

伊藤詩織さんの時はme too運動を持ち出してテレビも新聞も大々的に取り上げたのだから、同じような構造を持つこの件も取り上げるべきだったと思う。映画監督の園子温が告発された時ももっと追及すべきだったし、マリエの紳助告発なんかも一緒に声を挙げてやるべきだった。権力者に対する告発がスルーされた場合に告発者がどんな思いをするかを想像するとやるせない。

 

ジャーナリストや活動家にはリベラル思想のつまみ食いをしないでもらいたい。リベラル思想自体が胡散臭いと思われてしまう。me too運動は正義に基く尊い活動だと思うし、私は伊藤詩織さんが一点の非もない被害者だと思っている。しかし彼ら自称リベラルのおかげでme too運動は矮小化され伊藤詩織さんは不当な非難を受ける事になってしまった。

伊藤詩織さんの事件で責められるべきは、誰かの一存で人事が決まってしまうTBSやテレビ業界のルーズさであり、前後不覚な女性と性交しても強姦にならないと思っていた山口敬之という当時TBSのワシントン支局長だったジャーナリスト個人である。あるいは彼にそういう規範意識を形成させてしまった業界の先人達も「広義」の共犯性を有していると言えるかもしれない。

いずれにせよこれはジャーナリスト個人とテレビ局の問題だった。社会的な問題として捉えるにしても強姦の定義、証明の難しさなどに焦点を当てるべきだった。だというのに、なぜか安倍氏が引っ張りだされてきて圧力がどうと言われ始めた。ネットのツボ書き込みのレベルではなく国会の予算委員会の場で扱われたのだ。

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=119515261X00220171130&page=41&spkNum=383&current=1

リンク先は第195回参議院予算委員会での福島みずほ君と安倍晋三君の対談記録。ブログ読者の為に該当箇所を探し出し、直接飛ぶようリンクを貼った。

TBSやテレビ業界としてはこの「陰謀論」は実にありがたかった事だろう。

「伊藤詩織さん逮捕状もみ消し疑惑について」逮捕状の発付と執行停止の理由は警視庁捜査一課から説明を受けている|上田24|note

逮捕状の件は陰謀論だよね? 陰謀論にうるさいあの先生方の意見を伺いたいものだ。

 

政敵を引きずり出せる時にだけリベラルを騙り義憤の声を上げ、無関係の時は沈黙し、加害者が仲間だった時は擁護に回る。そういう卑しい立ち回りをしていたら急進左派以外の一般市民から嫌われるのは当前である。彼らが鼻つまみ者になるだけなら結構だが、リベラル思想にまでその臭気が付いてしまうのは頂けない。

ジャニー氏の話に戻ると、さすがにテレビもそろそろ触れるだろう、いくら何でももうやり過ごせないだろうと思うのだが、現在のテレビ出演者に占めるジャニーズの割合を考えると多分それは見えている地雷を踏みに行くような行為だから、やっぱり無理なのかもしれない。今さら取り上げても「何で今まで黙ってたんだ」の批判は免れないだろうし。ただ見えていたんだから地雷を処理しておけば良かっただけの話ではある。

カラス生食新聞記事の是非とWBCとラッパの応援

新聞がこんな話題を取り上げるのかと驚いた。大新聞の影響力を思えば批判されるのは当然の成り行きだ。

しかしこういう情報自体はおもしろいし、体を張って取材しているのも評価できる。注意喚起もしているし記事の構成に落ち度があるとは思えない。仮にこれが週刊実話に掲載された記事だったのならば、こんなに批難される事もなかったろう。

それが理想的なバランスなのだと思う。

報道の問題は信頼され過ぎている事だ。これまで見てきたように大新聞やテレビ、そこに所属するジャーナリスト達は自分らの都合の為に平気で事実を歪める。ウソは言わないが文中にミスリードの罠を平然と仕掛ける。

高い倫理観を持った人達が崇高な目的の為にやっている仕事、という前提が間違っているのだ。

皆がジャーナリズムというものを、少し情報精度の高い週刊実話だと認識すればすべて丸く収まる。ジャーナリストは好きな事をもっと自由に書けるし、我々は「カラス生食だってさ。うけるー。」と微笑みながらジャーナリズムの成果を堪能できる。

 

話は変わるがWBCを見た。甘プラの実況がひどいと聞いたから楽しみにして見たが普通だった。替えられたのだろうか。

アメリカ国籍の日本代表とか日本国籍の中国代表とか、こういう緩さはすごくいいと思う。国境を希薄化させようとする現代の潮流が感じられる。しかしこの流れが続くと昔のように国の威信をかけた熱い戦い、みたいなのはなくなるだろう。見る側もやる側もそこまで入れ込めなくなるはず。自他の境界がはっきりしているから戦う意味があり価値があるのであって、その境界を曖昧にしたら戦う理由がなくなってしまう。人々を熱狂させてきたスポーツはその力を失うかもしれない。

ある意味つまらない世界になるだろうが、それで良いと私は思う。リベラル的な価値観が浸透するその先に待ち受けるのは、そういう冷めた社会だ。不条理を潰していけば悲劇はなくなり物語が失われ感情の上下動も緩やかになる。

しかし。それ以前に野球はもうだめかもしれない。長すぎてだるい。今日の試合は主審までもがそのだるさを感じていたようで、途中から高めの明らかなボール球をストライクコールするようになってしまった。世界一を決める大会がこんな適当でいいのだろうか。それからラッパの応援はもう少し何とかならないのか。高校野球ブラバン応援はかっこいいのにプロの舞台であれは。せめてもう少し音質を意識して吹いてほしい。

自分で判断できない記者

共同通信の記者がロケット打ち上げ中止について記者会見の場でJAXA側に「失敗じゃないですか」と執拗に迫ったという話。

「それは一般的に失敗といいます」JAXA打ち上げ中止会見での共同記者の“指摘”に批判続出(女性自身) - Yahoo!ニュース

この記者が自分の知識と経験からそう判断したのなら、自信を持って記事に「失敗」と書けば良い。本来ただそれだけの話だ。記事を読んで反発する読者がいたとしてもプロとして自分の仕事を全うしたのなら気に病む必要もない。共同通信社も素人を送り込んだわけでもあるまいし記者のプロフェッショナリズムを信用して鷹揚に構えていれば良い。それだけの話。

だというのに一体何故この記者はJAXAに「失敗」と言わせようとしたのか。

自分の判断に自信が持てないから。

記事の内容に責任を持つ気がないから。

これだろう。

自分が専門にして普段から勉強している領域なら、これを失敗と言っても良いのかどうか自信を持って判断できるはず。

自分が書く記事の内容に責任を持つ気があるのなら、相手が事象をどう捉えていようと、それに構う事なく自分の見解を書けるはず。

自信もなく責任を負う気もないからJAXAから言質を取ろうとしたのだ。そう考えるとあまりの情けなさに泣けてくる。

まぁ、話によると共同通信の記者はネット活動で忙しいらしく勉強する余裕もないみたいだから知識不足は仕方ないのかもしれない。ただ責任感まで欠如しているのはいかがなものか。

池上彰氏がペーボ氏に「なぜ日本の科学研究がダメになったのか」を尋ねる怪

先日テレビで池上彰氏がノーベル賞受賞者であるスウェーデン生物学者にインタビューしていた。内容はほとんど覚えていないが「なぜ日本の科学研究が衰退してしまったのか」を質問した場面は笑った。

日本で生まれ育ったわけでもなく日本の大学に所属しているわけでもないのに知るわけないだろう。万が一心当たりがあったとしても他国の批難に繋がりかねない事をわざわざ言うか?一体何を期待して氏はこの質問をしたのか。

多分池上氏自身も端から答えは期待しておらず、日本の文化人によく見られる欧米人を前にしての「日本はこんなにダメなんです」ショーをやりたかっただけなんだろう。

NHKのアナウンサーがジェンダー問題でアイスランド首相にこのショーをした時も思ったが、日本の文化人知識人が「ダメな日本」を手土産に欧米人を接待する様は本当に滑稽だ。

彼らがなぜその「ダメな日本」から自身を切り離しているのか分からない。マスメディアの人々は私達一般市民より社会に対する影響力が格段に大きいというのに。「ダメな日本」になってしまった原因が自分達にあるかも、と少しは考えないのだろうか?

 

日本の科学力が落ちている、基礎研究がおろそかになってしまった原因は、池上氏のようなマスコミの人々が地道な研究とそれに従事する地味な研究者達にスポットライトを当てず「地方を活性化させたい」「貧しい人々を救いたい」「みんなが幸せになれる社会にしたい」というようなでっかいストーリーを語る、威勢のいい者ばかりを持て囃してきたせいではないのか。池上氏は現実にテレビ番組でそういう大学生を取り上げるコーナーを持っている。 

科学者の仕事は、科学という長大な鎖を構成する一つの小さな環を作る事だ。鎖の一つになれれば大成功な人生だ。「社会を変えたい」という野心家の情熱とは違う熱が必要になる。もちろん大きな絵を描けるに越した事はないが必須ではない。鎖の全体像を知らずとも環は作れる。逆に革命家の肥大化した野心が地味なわっか作りで満たされる事はない。

でっかいストーリーを語る学生ばかりをピックアップしながら「なぜ日本の基礎研究はダメになってしまったのか」と嘆くのはやめてほしい。

長い年月マスメディアで仕事をしてきて本を何冊も出版し、世間に対し多大な影響力を行使してきたジャーナリストが日本の現状を他人事のように語る姿はもう見たくない。

NHKは中立か?

ブログやヤフコメ等を見ていて意外に思ったのは左派系の人がNHKを偏っていると批判している事。私はNHKを他のテレビ局や新聞と同じ、ごく一般的なジャーナリストの集団と認識していたから。

昔はそうでもなかったと思うが、海老沢会長の後あたりからNスペが社会系の話題ばかり扱うようになって雰囲気が変わった。

Nスペの『被曝の森』などは、科学が必要な番組内容なのにそれを疎かにして活動家の望む結論に向かおうとするのだから呆れた。

NHK内では活動家系の人達が主導権を握っていて科学系の人はあまり発言権を与えられていないのだろうなと思った。

だから左派の人達がNHKを偏っていると批判しているのが奇異に見えた。しかし、彼らの批判を見て振り返ってみると、そういう判断に至ってもおかしくない場面もあった。

私がNHKの報道姿勢に政権忖度的な空気を感じたのは、菅元首相がブチ切れていたぶら下がり取材の一件。

当時私は実際にこのニュースを見ていた。首相の政治家らしからぬ物言いに「この態度はまずいだろう、大事に発展するな」と思ったが、キャスターの一言すらなくこの話題は終わり淡々とニュースが続いた。その後も大した批判は起こらなかった。

あの冷静さを欠いた受け答えは首相の資質が問われる事件で、ジャーナリストからすれば金星を挙げるチャンスだったと思うのだが。菅氏はこれ以前から答弁に怪しい所があって割と攻撃しやすそうに見えていたが、安倍氏ほど攻撃されないのも不思議だった。こういうのを見せられると政権忖度していると取られても仕方ないだろう。

 

科学を捨ててまで反原発活動に勤しみ左派の顔色を窺う一方、政権忖度して右派におもねる。NHKは報道機関として大切な「中立」をある意味守っているのかもしれない。

ほんとは皆あんま興味がない地球温暖化

新型コロナの流行は、世界中の都市をロックダウンに至らせ、人間活動を抑制した。その結果、CO2の排出量が過去最大の減少幅で減ったそうである。

これで少しは大気中のCO2濃度も減ったのかと思いきや、コロナ前と同水準で増加したとの事。

気象庁の環境・海洋気象課の吉田雅司調査官の話として

「排出量の減少の影響を注目していたが、大気中の濃度は増加量の鈍化も認められず、自然の変動の中に埋もれてしまった」

と記事内に記述されている。

過去最大規模でCO2を減少させたのに自然変動に埋もれてしまうくらいしか大気濃度に影響しないというのは大変残念な結果である。もちろん大気の組成に影響を与える要因は様々あるだろうし、CO2排出も減らしたからすぐに大気濃度に影響が出るという類のものでもないのだろう。

しかし世界中でこれだけ大騒ぎしている問題なのだから、この観測結果はもう少し議論になっても良かったと思う。この結果が既存のモデルで説明できるのか否か等。

素人目にはCO2の排出を減らしたら大した時間差なく大気中のCO2濃度も減るような気がする。他に特異な要因がなければ。

その辺に興味がある。

これが大した話題にならなかったのを疑問に思う。難しいとは思う。どうせまた陰謀論陰謀論批判の舞台にすり替わってしまうのだろうから。

この東京新聞の記事は変な煽りもなく良い記事だった。

安倍氏暗殺事件をめぐる報道がおかしい

安倍氏暗殺事件のテレビでの扱い方や知識人達の見解が空恐ろしい。一昨日もNHK江川紹子氏が、この事件に「政治と統一教会の繋がりを明らかにした」功績があるかのように伝えていた。

私はこの事件をそういう文脈で語ってはいけないと思う。少なくとも江川氏のようなリベラル知識人はそうすべきでない。

なぜなら、この事件は見方を変えれば「ネットの誤情報に踊らされた者による見当違いの殺人事件」になるからである。そしてそれは知識人達がいつも警鐘を鳴らしていた忌むべき事態なのだ。


安倍氏統一教会に一体どんな便宜を図ったのだろう。

事件が起きて以来、連日大騒ぎでジャーナリストも血眼になって探し回ったが、出てきたのはビデオメッセージと安倍氏祖父の握手写真、関連団体の会合に出席した議員(与野党)の存在、選挙運動への協力要請といった所である。

安倍氏統一教会から何かを受け取り見返りを提供した事実は見つからず、騒いだ割に出てきた事実は小さい。いや、あれがある、これがある。そういう細かい指摘は色々あろうが、実のところ今回私が問題視している件に事実関係はさほど重要ではない。

事実の有無以前の問題なのだ。

報道される山上容疑者の供述内容を聞くと、安倍氏統一教会の繋がりとして挙げられているのがビデオメッセージと安倍氏祖父の時代の話だけなのである。

『捜査関係者によると、さらに山上容疑者は「安倍元首相のメッセージ動画を見て団体とつながりがあると思った」と話していることが新たに分かった。』文春引用

『山上容疑者は「岸信介元首相が団体に関係があると思い、孫の安倍元首相も関係があると思った」と供述している』日テレニュース引用

これだけだ。他にに何かまだ知られていない情報を持っているのか思っていたが、何も出てこない。そもそも供述内容が全然報道されていないのである。

これで「安倍さんにも原因あるから仕方ないよね~」という世論になってしまったり、ジャーナリストが「この事件で自民党統一教会の癒着が明らかになった」と言ってしまうのが理解できない。その論理が成立するなら拉致事件との関連が指摘されている朝鮮総連に挨拶に行った政治家が拉致被害者家族に襲撃されても仕方ない」し、

共産党と総連の癒着が明らかになった」になってしまうではないか。それは違うだろう?

そういう血で血を洗うような世界もあるのかもしれないが、我々が生きる社会、そしてリベラル言論人が目指す社会がそれじゃないのは明らかだ。


安倍氏統一教会の関連を指摘する投稿は5chなどのネットの底ではよく見かけた。ネット以外では見た事も聞いた事もない。5chには壺がどうとかの内容や安倍氏のAAがよくコピペされていた。山上容疑者の供述内容には、このネットでコピペされている程度の話しか出てこないのである。安倍氏と統一の繋がりを示す具体的な根拠がない。(挨拶動画の件でどうこう言うのがおかしいのは総連と志位氏の件を考えてみれば明らかだ。無論、挨拶に行った志位氏を同様に批判するならば矛盾しない。)

しかも、実際に安倍氏統一教会と関係があったのかと言うと、とても関係があるとは言えない程度の薄い繋がりしか出てこない。大手新聞社の一流記者達が探し回ってもあの程度しか見つからないのだ。なお繰り返しになるが、事実の有無は重要ではない。

ネットのコピペ程度の情報しか持たない山上容疑者が安倍氏統一教会に関係があると判断して氏を殺害した。
そしてこの程度の関連性しか把握していなかった山上容疑者を、ジャーナリズムが「安倍氏と統一の関係を明らかにした悲劇の主人公」扱いした事が問題なのである。

次の文章は「濫用される陰謀論」で濫用事例として取り上げた秦正樹氏と旗智広太氏の記事からの引用である。
『大阪では今年3〜5月、やはりネット上の情報にのめり込んだ29歳の男が、「日本を滅亡に追い込む組織」などとして立憲民主党辻元清美議員事務所や、在日コリアンらが通うコリア国際学園、そして創価学会支部を立て続けに襲った。』

秦氏と旗智氏はこれをネットのデマ、陰謀論を信じ込んだ者の凶行だと断罪している。その通りである。普通は辻本氏や在日コリアン創価学会が日本滅亡を望んでいるなどと思わないし、仮に辻本氏に反社会的な人物との繋がりがあったとしても、それだけで責め立てたりはしない。ましてや襲撃など言語道断である。

なぜ唐突にこの文章を持ってきたのかと言うと、ここに書かれている「ネット上の情報にのめり込んだ29歳の男」の事件が山上容疑者のそれと同じ構造を持っているからである。「29歳」を「41歳」に置き換え、「日本を滅亡に追い込む組織」を「統一教会」に、「辻本清美議員」を「安倍晋三議員」に置き換えてみてほしい。

辻本氏や在日コリアン創価学会が「日本を滅亡に追い込む組織」に属している証拠はない。しかし辻本氏に反社会的人物との「接点」が指摘された事はあった。

全日本建設運輸連帯労働組合 - Wikipedia

また、朝鮮学校校長が拉致事件に関与していると疑われた事もあったが、

これらの情報から彼らを「日本滅亡に追い込む組織」と断ずる事ができるはずもない。根拠が薄すぎる。

山上容疑者による安倍氏暗殺事件も同じだ。「祖父の代から関係しているとネットに書いてあったし挨拶動画も見たから」などという薄弱な根拠で安部氏を統一の黒幕と認定していいわけがない。

これは見当違いの憎悪なのだ。※

納得できない人はここでもう一度「安倍氏」を「辻本氏」に置き換えて考えてみてほしい。仮に辻本氏に、逮捕歴のある人物との接点、献金を受けていた事実があったとしても、そこから氏を反社会的人物と認定するのは無理があり、襲撃にまで至るのは異常だ。同様に安倍氏統一教会の関連団体に挨拶動画を送ったからと言って、教会支援者と認定するのは無理があり襲撃するのも異常なのである。

事件の論理的な構造を見れば、山上容疑者の凶行は彼らが言う「陰謀論にはまった29歳ネット右翼」のそれと同じなのだ。

左派議員を襲撃した犯人は陰謀論にはまるネット右翼、右派議員を襲撃した犯人は悲劇の主人公、などというダブルスタンダードをジャーナリズムが許していいはずがない。赤旗など政党機関紙ならばそれで良いと思うが、社会の公器を続けるつもりなら許されない。善良な市民はまだ彼らを公平な存在と信じている。)

普段から「ネットは陰謀論の巣窟」などと宣って右翼批判している知識人の方々はこの事件を「ネット陰謀論にはまった孤独な中年男」の事件として非難しなければ筋が通らないのである。

そしてこの事件は統一教会の問題に光が当たった」とか「政治と宗教の問題を考える事ができた」に繋げてはならない。辻本氏の襲撃事件から「連帯ユニオンがどういう組織か知る事ができた」なんて言ったら………怒られるでしょ?

 

アベシネ系の人達が祝杯を挙げ山上容疑者を擁護するのは構わない。我を失って憎悪を発露させる者が言論界で立場を維持できるはずもなく、ただ消えていくだけだ。

だが、江川氏のようなリベラル派ジャーナリストがこの事件を統一教会問題として取り上げてしまうのは本当にやるせない。何が問題か分からずにやっているのなら迂闊だし、知ってやっているのなら悪質だ。

でも…統一教会はひどいことしたでしょう?それは勿論そうだ。もっと早く解決すべき問題だった。合同結婚式で騒いだ後になぜ空白の時間が生まれてしまったのか私には分からない。政治の圧力があって報道できなかったと言うなら、具体的に誰が圧力を掛けたのか明らかにして責任を追及すべきだ。報道規制されるほどの事態ならば記録が残っているはずだ。疑惑を匂わせるだけで終わらせてはモリカケ同様の無意味な政治不信を煽るだけである。はっきりさせなければいけない。もし圧力を掛けられた記録がないならば、メディアには追及を自発的にやめてしまった理由を明らかにしてもらいたい。

 

※山上容疑者が安倍氏暗殺の社会的影響力を利用する目的で事件を起こした可能性は勿論高いし本人も安倍氏は本来の標的ではないと供述しているはずだが、ジャーナリストはこの事実から目をそらし、事件を政治と統一教会の話に集約するばかりだから私もここでは無視している。「安倍氏を利用した」が前面に出ると政治と統一の癒着にフォーカスできなくなるから避けているのだろう。