自分で判断できない記者
共同通信の記者がロケット打ち上げ中止について記者会見の場でJAXA側に「失敗じゃないですか」と執拗に迫ったという話。
「それは一般的に失敗といいます」JAXA打ち上げ中止会見での共同記者の“指摘”に批判続出(女性自身) - Yahoo!ニュース
この記者が自分の知識と経験からそう判断したのなら、自信を持って記事に「失敗」と書けば良い。本来ただそれだけの話だ。記事を読んで反発する読者がいたとしてもプロとして自分の仕事を全うしたのなら気に病む必要もない。共同通信社も素人を送り込んだわけでもあるまいし記者のプロフェッショナリズムを信用して鷹揚に構えていれば良い。それだけの話。
だというのに一体何故この記者はJAXAに「失敗」と言わせようとしたのか。
自分の判断に自信が持てないから。
記事の内容に責任を持つ気がないから。
これだろう。
自分が専門にして普段から勉強している領域なら、これを失敗と言っても良いのかどうか自信を持って判断できるはず。
自分が書く記事の内容に責任を持つ気があるのなら、相手が事象をどう捉えていようと、それに構う事なく自分の見解を書けるはず。
自信もなく責任を負う気もないからJAXAから言質を取ろうとしたのだ。そう考えるとあまりの情けなさに泣けてくる。
まぁ、話によると共同通信の記者はネット活動で忙しいらしく勉強する余裕もないみたいだから知識不足は仕方ないのかもしれない。ただ責任感まで欠如しているのはいかがなものか。