コロナとマスコミ

マスコミが世論を先導する社会でいいのだろうか

池上彰と言論の自由 - SNSに情報統制を要求する矛盾

池上彰氏が1月10日のワイドスクランブルSNSの危険性について語っていた。何でも、SNSには情報をコントロールする統一されたルールがないから危ないそうだ。今後、情報をどうコントロールしていくのかが課題だと。

政府に言論の自由を要求するジャーナリストが、なぜ市民が自由に発言できる場の「統制」を主張するのか疑問だ。SNSが誹謗中傷の温床になることはあろう。ニュースのコメント欄が憎悪で埋め尽くされることもあろう。皆が皆、年収1,000万あってハイソな都会暮らしをして他人に自慢できる仕事をしているわけではないのだから、溜まった不満のはけ口に利用されもする。それで誰かが傷つくこともある。誰かを自殺に追い込むこともある。

「だから規制しよう」

それでいいのだろうか。テレビ新聞が誤った情報で人を傷付け、政府がマスコミ規制を叫んだらあなたは何と言うだろう。

市民の声をコントロールすべきという主張はジャーナリストとして常軌を逸している

その姿は自身の言う「メディアをコントロールしたがる権力者」と同じではないか。

「民主主義がすばらしいのは人間が間違うことを前提にしていることだ」とご自分でも仰っているのだから、一つ二つの過ちを取り上げてSNSメディア全体のコントロールを主張することの浅はかさが分からぬわけでもないだろう。

民主主義を信じているのなら、市民の声を切り捨てるような主張を軽々しくしないでもらいたい。

クロ現 もみ手で北欧の威光を借りに行く

SNS攻撃をしたのと同じ1月4日の番組内で男女平等社会の実現についてアイスランド首相へのインタビューも行われていた。アイスランドは男女平等が進んでいるとのこと。

インタビュアーのNHKアナウンサーがニコニコしながら「日本はこんなに男女平等が遅れているんです」「日本はどうすればいいんでしょうか。教えてください。」とやっていた。

首相は無難な一般論を語るだけで日本への具体的な助言はしなかった。日本の現状を研究しているわけもあるまいし答えようもなかっただろう。

 

このインタビューを見て私は不快な気分になった。男女平等に反対しているわけではない。日本が貶められて悔しかったわけでもない。インタビュアーや番組制作陣の無邪気なはしゃぎっぷりが伝わってきたからだ。

外国の首脳が日本のローカルな社会問題を解決してくれるはずもないのに、なぜ彼らはわざわざ身内の恥(と彼らが認識していること)をさらしに行くのだろう。

自国の現状を「こんなに遅れてるんですよ」と紹介し「それに比べておたくはすばらしいですね」「遅れた日本に教えを授けて下さい」と続ける。

まるで都会の奉公先で郷里の親族を出しに主人のご機嫌取りをする憐れな使用人のようだ。

「ねえ旦那様、田舎者はだめですよ。あいつらジェンダアなんて聞いたことすらないんだから。いまだに家事は女にやらせろですからね。それにひきかえ旦那様の所は男も女も関係ねえってぇさすがだ。あいつらにも教えてやってほしいですよ。今度ガツンと言ってやってもらえませんかね。ねえ旦那様。」

もみ手で主人にすり寄る使用人の姿が目に浮かぶ。

忙しい主人としては使用人の話なんて笑って聞き流すだけだから、この後どう転んだって結局はどうってことない話だ。しかし出しに使われた郷里の親族からすると気分が悪い。同じ田舎者のくせに自分だけ高い所に立った気で我々身内をこき下ろす。ついこの間まで同じ場所で一緒に飯を食っていたというのに。しかも、それでいて我々より稼ぎがいいとくるから余計に腹が立つ。ま、ひがむのはやめよう。

私が引っかかるのは、

いまだに男女を赤白に色分けしたカラオケ大会を毎年開催している組織が、なぜしたり顔でジェンダーレス社会云々を我々に説くのか、とか、

アナウンサーに美人ばかり採用して毎日違う服で着飾らせて画面に登場させ続けている組織が、なぜ素知らぬ顔で「社会の女性に対する偏見」や「ジェンダーロール」について語るのか、

ということ。(アナウンス力と顔面偏差値は関係ないだろう。視聴者が望むから? じゃあポルノでも放送すればいい。)

自分達の社会に対する強大な影響力を理解しているのなら、我々に説教する前にやるべきことがあるはずだ。

 

「日本は遅れている」と他国の首脳に告げ口している暇があるなら、まず自分達の組織を改革すべきである。社会の先頭を走るオピニオンリーダーとして皆に見本を見せるチャンスなのだ。それを華々しく成し遂げてから「ジェンダーレス社会はこうやって実現するんだ!」と宣言してくれたらどれだけ胸がすくだろう。その頃にはもう北欧様を前に「ダメな日本をどう改革すればいいんですかあ」なんて泣き言言ってる憐れな使用人の姿はないはずだ。

外国要人をもてなすディナーパーティーの具材として田舎の親族を鍋に放り込むのはもうやめよう。どうしてもやりたいなら一緒に鍋に飛び込もう。これは何も今回のクロ現だけに通じる話ではない。ダメな日本を肴にした酒宴は今も各地で催されていて、今日もまたどこかで田舎の親族を出汁にした熱々の鍋料理が碧眼のマレビト達に振舞われているのである。

クローズアップ現代プラスがSNS攻撃

1月4日のクロ現でSNSが民主主義を脅かす、という特集をやっていて怖かった。冗談抜きで、見ていてマスメディアやジャーナリストを怖いと思った。一部のジャーナリストは市民からSNSを取り上げる事を望んでいるとさえ感じた。

 

SNSが世論を捏造する」と番組は言っていた。私にはマスメディアが世論を作り出すこととクリティカルな違いがあるようには思えない。SNSが作る世論が捏造で、マスメディアが作る世論が正しいという根拠はどこにあるのだろう。「HPVワクチンは危険」という誤った世論を作ったのは誰だっただろうか。

 

フィリピンで「ジャーナリストは嘘つきだ」というデマが蔓延している、と番組は言う。ドゥテルテ大統領が自身を追及する記者のマリアレッサを陥れるために流したデマがSNSを通して拡散し大衆が扇動されている、と。

マリアレッサは勇気あるジャーナリストだ。ドゥテルテは権力者の自覚を持ってジャーナリストを脅すのを止めなければならない。しかしその話は今は脇に置く。

私が憤りを覚えるのは番組を作っているジャーナリストの方々が「人々はなぜこんなデマを信じてしまうのだろう」と考えないこと。どうしてジャーナリストが疑われてしまうのか、それを省みる内容が番組内に一切なかったことに呆れる。

 

SNSはデマ拡散機だ、民主主義の危機だ、と騒ぐ前にやることがあるはず。

「草の根の声に耳を傾けよう」はどこへ行った?

自分が思っていたのと違う声が聞こえてきたらもう耳を塞いでしまうのか。塞ぐだけでは飽き足らず、その声を奪おうとまで。

 

彼らが言うように「民主主義の危機」は近付いているのかもしれない。トランプやドゥテルテやSNSによってではなく、自身を省みることのない傲慢なジャーナリスト達によって。

川勝知事の発言とマスコミと森元総理

川勝知事の女性蔑視発言について、これは本人が弁解する「舌足らず」という話ではなく単純に川勝氏が日頃から抱いている男女観が出てしまっただけで、これからの社会をリードしていくには不適格な志向の持ち主だとは思うが、この手の失言で職を辞するところまで追い込むのは違うと思う。

選挙で県民の意思により是非を決めるべきであり、法に則った道筋で決定すべきことと思う。その意味では投票日前にこの報道がなされるべきだったと思うが、その辺は色々事情があるのだろう。

一つ気になるのは森元総理の時とマスコミの扱いが違う点。発言の種類、重さは同じ、あるいはより酷いくらいだと思うが、森元総理の時のような連日の苛烈な批判がテレビ新聞で巻き起こらなかったのはなぜだろう。

オリンピックと静岡県では舞台の大きさが違うとでも言うのだろうか。権力者の人権問題発言に舞台の大きさは関係ないはず。

こういうダブルスタンダードをやっているからジャーナリズムは信頼を失う。それだけならまだ良いが、大切な男女平等運動自体に傷が付いてしまう。自分の攻撃したい対象は人権問題で追及し、守りたい対象の同じ言動は追及しない。これでは一般市民から「ああ、人権擁護運動ってそういう便利な道具なのね」と冷たい目で見られるようになってしまう。

メディアに「川勝氏を叩きまくれ」と言っているのではない。森元総理の時のマスコミの追及が異常だったのではないかと言っている。

紅白歌合戦をやるNHKがジェンダー問題を訴える愚

NHKジェンダー問題を頻繁に取り上げている。男らしさ、女らしさといった社会的文化的に作り出された性差をこえてありのまま生きられる社会にしよう、とのこと。

ところでNHKは今年も紅白歌合戦をやるのだろうか。男を白、女を赤、と性別に色を当てはめるのはジェンダー論的にアウトである。先日もどこかのトイレのカラーリングで問題になっていたはずだ。

それに加えて現代は「男女どちらかにはっきり分けられない人もいる」というのが共通理解になりつつあるわけだ。どうして人を性別で振り分ける番組が今もなお続けられるのだろう。氷川きよしがどう感じるのか考えないのだろうか。

仮に男性自民党議員が支援者を集めて紅白カラオケパーティーを催したとしよう。それが明るみになったとき、果して議員辞職だけで済むだろうか。

なぜNHKだけ見逃され続けているのか分からない。「伝統だから」が許されるのならもはや誰も差別を糾弾できなくなる。

NHKは視聴者に社会問題を訴える前にやることがあるはずだ。

都道府県魅力度ランキング問題を国別ランキングに置き換えてみよう

都道府県の『魅力度ランキング』、群馬県知事が「法的措置も検討」と抗議。調査会社は「本気でおっしゃっているとは…」(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース

知事の器が小さいだとか県民として恥ずかしいという声が上がっている。

日本国内の話だから何が問題なのか分からないのだと思う。

たとえばこれが国別の魅力度ランキングだったとして最下位になった国から抗議が来たとしたらどうだろう。「あの国の大統領は器が小さい」と大きな声で言えるだろうか? 「ネタにすればいい」とか「笑い飛ばせばいい」で済む話だろうか。

差別を助長する話題だから、少なくともマスメディアで取り上げていいネタではない。ましてや面白おかしく取り上げていいはずがない。

国別でやってはいけないことなのだから都道府県別でも同じこと。そこに所属し、生活している人がいる。国籍ほどではないにしろ私達はその属性に多少なりとも縛られている。最下位の都道府県を毎年マスメディアで面白おかしく取り上げていたら、出身地ネタでからかってもいいと思い込んでしまう人も出てくる。

お笑い芸人ならそれを「おいしい」と転換できるかもしれないが、真面目な人は自分がその地域出身であることを嫌になってしまうかもしれない。大半の人はそんなこと気にしないとしても、そういう人がいるかもしれないと想像することが大切である。そういうようなことを言っていたのは誰だったか。

 

そんな世の中つまらない。その通りだ。だがそれこそがすべての人の権利が尊重される自由で平等な社会の正しい姿である。

「撮り鉄」名指し報道と差別

撮り鉄が違法行為を働いた、というこのニュース。

線路に侵入容疑、「撮り鉄」2人を書類送検 中央線が30分止まる:朝日新聞デジタル

NHKのニュースでも同じ「撮り鉄」の見出しを付けて放送していたが、これは彼らの報道ポリシーに反していないのだろうか。

例えば外国人が日本で犯罪を犯したとしてニュースで「『〇〇人』が犯罪を犯しました」と人種を強調するような見出しは付けないだろう。猛抗議が来ると分かっているはず。特定の人種と犯罪を結びつけるような報道は許されない。普通に生活している外国人が差別の対象になって攻撃されてしまうおそれがあるからだ。

撮り鉄」も同じだ。違法行為を働いたのは一部の撮り鉄であって、撮り鉄全体が悪いわけではない。仮に撮り鉄の多数が迷惑行為を働いていたとしても同じこと。「『撮り鉄』が悪いことをした」という報道は真っ当な鉄道写真愛好家を不当な攻撃にさらす危険がある。

差別問題を頻繁に取り上げている報道の人間なら当たり前に理解していることではないだろうか。この間のアニメ趣味と犯罪者の連想を促す報道もそうだが、普段差別問題を糾弾する報道の人達がなぜこんな単純な過ちを繰り返すのか分からない。

人種差別はまずいけど、撮り鉄差別、アニオタ差別は構わない、でいいのだろうか?

それで、差別のない世界が実現できるのだろうか?

抗議が来なければどうでもいいのだろうか?