コロナとマスコミ

マスコミが世論を先導する社会でいいのだろうか

安倍元首相暗殺はデマ、誹謗中傷、ヘイトスピーチを放置した結果では?

5ちゃんねるでは何年も前からしつこく書き込まれていたが、安倍元首相と統一教会の関係性などというのは真偽不明の不確かな情報である。普段「ネットのデマを許すな」と騒いでいる人達が、この不確かな情報が原因で実行された暗殺を非難するどころか、補強しようとあれこれ引っ張り出してきている姿を見ると戦慄する。

それで、殺されることが正当化されるほどの関係性は見つけられたのだろうか?

統一教会幹部より重い責任が安倍にあったというのだろうか?

 

近年、反安倍派の憎悪は怖いくらいに膨れ上がっていた。大学教授やジャーナリスト、政治家までもが安倍氏へのヘイトを公言している様を見て、私は恐怖を感じていた。彼らが何かする前に政権交代が起こった方がいいのではないかとさえ考えていた。社会的地位のある言論人の言論を止める術はないから憎悪に歯止めがかからなかった。だから安倍氏が退陣した時は少しほっとした。

政治家のこういう活動や、大学教授やジャーナリスト、ミュージシャンなど社会的地位のある人達の垂れ流すヘイトスピーチが言論業界で許容され続ける空気は、犯人の安倍氏殺害のハードルを下げるのに一役どころではなく買っただろう。

 

リベラルを自称し自由や民主主義を掲げる知識人の方々は、常にリベラル思想の本質に思いを巡らせていてほしい。そして自分達の言動がその理想から逸脱していないか、崇高な思想を汚していないか、自分自身を省みる思考力をどうか身に着けてほしいと願う。

Nスタの街頭インタビューでウクライナ難民とウィシュマさんの話が

今日Nスタ見てたら、ウクライナからの難民を日本が受け入れるのをどう思うかという街頭インタビューで、先日問題になった入管施設で死亡させられたウィシュマさんの事件を挙げて日本は受け入れ態勢を整えなければいけないと思うと答えている人が映っていた。

ウィシュマさんの事件は単純に難民受け入れ態勢の不備で片付けられる問題ではない。不法滞在者による難民申請濫用という問題が根幹にある。

何でこの問題がいつまでも改善されないのだろうかと不思議に思う。「難民申請は濫用されているわけじゃない」という主張もあるのだろう。一度、テレビでこの具体的な数字を示して難民申請が適正に行われているかどうかを市民に判断してもらえばよいと思う。テレビだと一部の局を除いて「濫用されている」という主張をまったく伝えないから市民が問題を把握できないままになってしまっている。

 

報道という意味では街頭インタビューという手法は危ない面があると感じた。一般市民は社会問題の争点を必ずしも深く把握していない。問題を把握せず誤解したまま答えてしまいその映像が垂れ流されると世間に誤解が広まってしまう。もちろん報道する側が気を付ければいいが、彼らも人だからうっかり流してしまうこともあるだろう。

市民の声ならば誤情報だとしても報道の責任は追及しづらい。

しかしよく考えてほしい。

例えばの話だが、街頭インタビューで「オリンピック反対デモが金で動員されている」という誤解を誤解したまま話してしまった人の映像があったとして、それを報道機関が流して良いだろうか?

街頭インタビューにも気を付けてもらいたいものである。

テレビ出演者へのマスク要求、メディアの自業自得

テレビ出演者が少なくない視聴者から「マスクしろ」と批判されているのは彼らの自業自得である。当初から専門家の間でも新型コロナの脅威度判断は分かれていたのだから、両者の見解を紹介し冷静な判断を促す報道をすればよかった。それを一方の意見は封殺して脅威論ばかり取り上げ続けてきたのだから「そんなに脅威なのに何であんたらは狭いスタジオでマスクすらしないの」と指摘を受けるのは当然である。

 

彼らがマスクもせず無意味な透明パネルを立てただけで満足しておしゃべりし続けるのは何故なのか。それは彼ら自身、自分達が煽っているほど新型コロナが怖くないことを知っているからである。もし本当にコロナが社会の脅威だと信じているのなら、感染者を出し続けているテレビ局が、そんな無防備で無責任な番組作りをし続けられるわけがない。

 

2類5類の話は初期の頃より医師の間からも出ていた話だったが、いまだにこのワードをテレビのニュースで聞くことがない。なぜ医療が混乱し、すぐに崩壊騒ぎになってしまうのか。変更するしないは別にして、私達にアイディアくらい教えてくれてもいいではないか。社会の問題はみんなで共有してみんなで解決していくのではなかったのか。ジャーナリストはそのための存在ではなかったか。

結局、私達の判断力を信用していないから、こうやって情報を隠そうとするのである。

「人々にあれもこれも情報を与えたら混乱して社会全体が間違った方向に進んでしまう。」

「私達は大きな影響力を持っているから、人々を正しい方向へ導かなければならない。」

コロナカのジャーナリストの行動からはそんな思いが透けて見える。

社会に「正しい方向」が存在していて自分達はその正しさを知っていると言うのなら、民主主義という看板は即刻下ろしてほしい。

菅直人元首相はヒトラー発言より嘆願書署名の方が

ヒトラー発言で話題になっている立憲民主党菅直人元首相について、私が今ももやもやするのが、拉致実行犯の釈放嘆願書に署名したという問題。

これは彼一人の問題ではなく、他の複数の政治家も関与した問題で、スパイ容疑で韓国政府に逮捕された在日韓国人活動家達の釈放を韓国政府に要求する嘆願書に署名したというもの。そのリストの中に日本人拉致事件の実行犯の名まで入っていたという。

リストに載った人物をよく確認せずに署名してしまったということらしいが、それで済ませてしまって良かったのだろうか。そもそも真偽はともかく韓国政府に北のスパイとして摘発された人物の釈放を要求する嘆願書に日本の国会議員が、精査もしないで気軽に署名して良かったのだろうか。

当時は拉致の問題がそこまで大きくなかったからそこまで考えが及ばなかった、という言い訳もあるようだがそれは無理筋だろう。1980年代は既に北朝鮮による日本人拉致の問題は新聞に頻繁に取り上げられていた。北の工作員が日本人に成りすまして活動している問題も当時朝日新聞が記事にしていた。国会議員が知らなかったで済むはずがない。

百歩譲って時代の違いで済ませたとしても、その後彼を首相にまでしてしまったのは悪手だった。たとえ知らずにやってしまった事だとしても、署名した事実は消せない。

拉致実行犯の釈放を要求した人物を日本は首相にした。

この事実は重い。なぜなら、ここから「だから日本人は拉致問題をさほど重要だと捉えていない」という誤解を引き出せてしまうから。

拉致問題を非難する諸外国に対し北朝鮮「日本はそれほど気にしてないですよ。だって拉致犯を釈放しろって人をトップに据えたんだから」と説明したらどうだろう。そのまま鵜呑みにされることはないだろうが、やはり一瞬戸惑うだろう。「え?首相が容認していたことなの?」と。「え?拉致犯釈放を要求した議員を日本人は許したの?それじゃこれは日本にとって言うほど大きな問題じゃないんだね」

無関係な第三国からすれば問題を一歩引いた立場から見たくなってしまう情報となろう。

拉致問題は今もなお未解決で進行中の問題であるから、立憲民主党が氏を最高顧問に据え続けるのも良くないと思う。今挙げたような誤ったメッセージの発信に利用されるおそれがある。立憲民主党拉致問題をどう考えているのだろう。

この問題に比べればヒトラー発言はそこまで騒ぐ話でもない。

池上彰と言論の自由 - SNSに情報統制を要求する矛盾

池上彰氏が1月10日のワイドスクランブルSNSの危険性について語っていた。何でも、SNSには情報をコントロールする統一されたルールがないから危ないそうだ。今後、情報をどうコントロールしていくのかが課題だと。

政府に言論の自由を要求するジャーナリストが、なぜ市民が自由に発言できる場の「統制」を主張するのか疑問だ。SNSが誹謗中傷の温床になることはあろう。ニュースのコメント欄が憎悪で埋め尽くされることもあろう。皆が皆、年収1,000万あってハイソな都会暮らしをして他人に自慢できる仕事をしているわけではないのだから、溜まった不満のはけ口に利用されもする。それで誰かが傷つくこともある。誰かを自殺に追い込むこともある。

「だから規制しよう」

それでいいのだろうか。テレビ新聞が誤った情報で人を傷付け、政府がマスコミ規制を叫んだらあなたは何と言うだろう。

市民の声をコントロールすべきという主張はジャーナリストとして常軌を逸している

その姿は自身の言う「メディアをコントロールしたがる権力者」と同じではないか。

「民主主義がすばらしいのは人間が間違うことを前提にしていることだ」とご自分でも仰っているのだから、一つ二つの過ちを取り上げてSNSメディア全体のコントロールを主張することの浅はかさが分からぬわけでもないだろう。

民主主義を信じているのなら、市民の声を切り捨てるような主張を軽々しくしないでもらいたい。

クロ現 もみ手で北欧の威光を借りに行く

SNS攻撃をしたのと同じ1月4日の番組内で男女平等社会の実現についてアイスランド首相へのインタビューも行われていた。アイスランドは男女平等が進んでいるとのこと。

インタビュアーのNHKアナウンサーがニコニコしながら「日本はこんなに男女平等が遅れているんです」「日本はどうすればいいんでしょうか。教えてください。」とやっていた。

首相は無難な一般論を語るだけで日本への具体的な助言はしなかった。日本の現状を研究しているわけもあるまいし答えようもなかっただろう。

 

このインタビューを見て私は不快な気分になった。男女平等に反対しているわけではない。日本が貶められて悔しかったわけでもない。インタビュアーや番組制作陣の無邪気なはしゃぎっぷりが伝わってきたからだ。

外国の首脳が日本のローカルな社会問題を解決してくれるはずもないのに、なぜ彼らはわざわざ身内の恥(と彼らが認識していること)をさらしに行くのだろう。

自国の現状を「こんなに遅れてるんですよ」と紹介し「それに比べておたくはすばらしいですね」「遅れた日本に教えを授けて下さい」と続ける。

まるで都会の奉公先で郷里の親族を出しに主人のご機嫌取りをする憐れな使用人のようだ。

「ねえ旦那様、田舎者はだめですよ。あいつらジェンダアなんて聞いたことすらないんだから。いまだに家事は女にやらせろですからね。それにひきかえ旦那様の所は男も女も関係ねえってぇさすがだ。あいつらにも教えてやってほしいですよ。今度ガツンと言ってやってもらえませんかね。ねえ旦那様。」

もみ手で主人にすり寄る使用人の姿が目に浮かぶ。

忙しい主人としては使用人の話なんて笑って聞き流すだけだから、この後どう転んだって結局はどうってことない話だ。しかし出しに使われた郷里の親族からすると気分が悪い。同じ田舎者のくせに自分だけ高い所に立った気で我々身内をこき下ろす。ついこの間まで同じ場所で一緒に飯を食っていたというのに。しかも、それでいて我々より稼ぎがいいとくるから余計に腹が立つ。ま、ひがむのはやめよう。

私が引っかかるのは、

いまだに男女を赤白に色分けしたカラオケ大会を毎年開催している組織が、なぜしたり顔でジェンダーレス社会云々を我々に説くのか、とか、

アナウンサーに美人ばかり採用して毎日違う服で着飾らせて画面に登場させ続けている組織が、なぜ素知らぬ顔で「社会の女性に対する偏見」や「ジェンダーロール」について語るのか、

ということ。(アナウンス力と顔面偏差値は関係ないだろう。視聴者が望むから? じゃあポルノでも放送すればいい。)

自分達の社会に対する強大な影響力を理解しているのなら、我々に説教する前にやるべきことがあるはずだ。

 

「日本は遅れている」と他国の首脳に告げ口している暇があるなら、まず自分達の組織を改革すべきである。社会の先頭を走るオピニオンリーダーとして皆に見本を見せるチャンスなのだ。それを華々しく成し遂げてから「ジェンダーレス社会はこうやって実現するんだ!」と宣言してくれたらどれだけ胸がすくだろう。その頃にはもう北欧様を前に「ダメな日本をどう改革すればいいんですかあ」なんて泣き言言ってる憐れな使用人の姿はないはずだ。

外国要人をもてなすディナーパーティーの具材として田舎の親族を鍋に放り込むのはもうやめよう。どうしてもやりたいなら一緒に鍋に飛び込もう。これは何も今回のクロ現だけに通じる話ではない。ダメな日本を肴にした酒宴は今も各地で催されていて、今日もまたどこかで田舎の親族を出汁にした熱々の鍋料理が碧眼のマレビト達に振舞われているのである。

クローズアップ現代プラスがSNS攻撃

1月4日のクロ現でSNSが民主主義を脅かす、という特集をやっていて怖かった。冗談抜きで、見ていてマスメディアやジャーナリストを怖いと思った。一部のジャーナリストは市民からSNSを取り上げる事を望んでいるとさえ感じた。

 

SNSが世論を捏造する」と番組は言っていた。私にはマスメディアが世論を作り出すこととクリティカルな違いがあるようには思えない。SNSが作る世論が捏造で、マスメディアが作る世論が正しいという根拠はどこにあるのだろう。「HPVワクチンは危険」という誤った世論を作ったのは誰だっただろうか。

 

フィリピンで「ジャーナリストは嘘つきだ」というデマが蔓延している、と番組は言う。ドゥテルテ大統領が自身を追及する記者のマリアレッサを陥れるために流したデマがSNSを通して拡散し大衆が扇動されている、と。

マリアレッサは勇気あるジャーナリストだ。ドゥテルテは権力者の自覚を持ってジャーナリストを脅すのを止めなければならない。しかしその話は今は脇に置く。

私が憤りを覚えるのは番組を作っているジャーナリストの方々が「人々はなぜこんなデマを信じてしまうのだろう」と考えないこと。どうしてジャーナリストが疑われてしまうのか、それを省みる内容が番組内に一切なかったことに呆れる。

 

SNSはデマ拡散機だ、民主主義の危機だ、と騒ぐ前にやることがあるはず。

「草の根の声に耳を傾けよう」はどこへ行った?

自分が思っていたのと違う声が聞こえてきたらもう耳を塞いでしまうのか。塞ぐだけでは飽き足らず、その声を奪おうとまで。

 

彼らが言うように「民主主義の危機」は近付いているのかもしれない。トランプやドゥテルテやSNSによってではなく、自身を省みることのない傲慢なジャーナリスト達によって。