コロナとマスコミ

マスコミが世論を先導する社会でいいのだろうか

カラス生食新聞記事の是非とWBCとラッパの応援

新聞がこんな話題を取り上げるのかと驚いた。大新聞の影響力を思えば批判されるのは当然の成り行きだ。

しかしこういう情報自体はおもしろいし、体を張って取材しているのも評価できる。注意喚起もしているし記事の構成に落ち度があるとは思えない。仮にこれが週刊実話に掲載された記事だったのならば、こんなに批難される事もなかったろう。

それが理想的なバランスなのだと思う。

報道の問題は信頼され過ぎている事だ。これまで見てきたように大新聞やテレビ、そこに所属するジャーナリスト達は自分らの都合の為に平気で事実を歪める。ウソは言わないが文中にミスリードの罠を平然と仕掛ける。

高い倫理観を持った人達が崇高な目的の為にやっている仕事、という前提が間違っているのだ。

皆がジャーナリズムというものを、少し情報精度の高い週刊実話だと認識すればすべて丸く収まる。ジャーナリストは好きな事をもっと自由に書けるし、我々は「カラス生食だってさ。うけるー。」と微笑みながらジャーナリズムの成果を堪能できる。

 

話は変わるがWBCを見た。甘プラの実況がひどいと聞いたから楽しみにして見たが普通だった。替えられたのだろうか。

アメリカ国籍の日本代表とか日本国籍の中国代表とか、こういう緩さはすごくいいと思う。国境を希薄化させようとする現代の潮流が感じられる。しかしこの流れが続くと昔のように国の威信をかけた熱い戦い、みたいなのはなくなるだろう。見る側もやる側もそこまで入れ込めなくなるはず。自他の境界がはっきりしているから戦う意味があり価値があるのであって、その境界を曖昧にしたら戦う理由がなくなってしまう。人々を熱狂させてきたスポーツはその力を失うかもしれない。

ある意味つまらない世界になるだろうが、それで良いと私は思う。リベラル的な価値観が浸透するその先に待ち受けるのは、そういう冷めた社会だ。不条理を潰していけば悲劇はなくなり物語が失われ感情の上下動も緩やかになる。

しかし。それ以前に野球はもうだめかもしれない。長すぎてだるい。今日の試合は主審までもがそのだるさを感じていたようで、途中から高めの明らかなボール球をストライクコールするようになってしまった。世界一を決める大会がこんな適当でいいのだろうか。それからラッパの応援はもう少し何とかならないのか。高校野球ブラバン応援はかっこいいのにプロの舞台であれは。せめてもう少し音質を意識して吹いてほしい。