コロナとマスコミ

マスコミが世論を先導する社会でいいのだろうか

なぜモリカケ安倍黒幕説は陰謀論でないのか?秦正樹 氏の定義

ネット上でまた新しい『陰謀論』の定義を見つけた。

秦正樹氏によると「政治や社会において重大な事件・出来事が起きた究極的な原因を、強い影響力を持つ2人以上のアクターの秘密の企みで説明しようとする試み」陰謀論の定義だそうだ。

これまで紹介した定義比べると効果的でない言葉が多く、対象を絞り切れていない印象。「政治や社会」「究極的な」「強い影響力」「試み」あたりの言葉はなくてもよさそう。「究極的な」と「強い影響力」には逃げの姿勢も見える。まあどうでもいいか。考えてみたいのは、

なぜ陰謀論の定義は人によって違い、そしてこうも複雑なのか

ということ。

シンプルに「出来事の原因を誰かの陰謀だとする推論」ではいけないのか?

普通の人が「陰謀論」と聞いて思い浮かべるのはこんな感じのラフな定義だと思う。

 

陰謀論の定義が複雑になってしまう理由は、多分この言葉が他人を批判する文脈で生まれた言葉だからだと思う。おかしな事を言っている人に「君それおかしいよ」と伝えるための言葉。でも「おかしい」かどうかは見る立場によって変わる

・トランプ支持者にはトランプの主張する「選挙に不正があった説」はおかしく見えない。
・反安倍派には「モリカケ安倍黒幕説」はおかしく見えない。

どちらも公式には正しくない見解だから両者ともに陰謀論のはずだ。

難しい話でも何でもなく、普通に考えればどちらも陰謀論なのだ。しかしこの言葉を使う人達には敵(バズフィードの記事にも陰謀論者は民主主義の敵的な記述がある)を非難するという目的があるから自分達の主張は陰謀論に当てはまらないようにしたい陰謀論のスコープは攻撃対象の言説だけピンポイントにしたい。本質的に同じものを違うとするのは至難の業だ。必然的に定義は複雑化する。そうして一般人に理解できないような『陰謀論』の定義が生まれたり、人によって定義が違ったりする事態が生じる。

 

秦氏の定義について言っているわけではない。彼の定義にそういう意図は見えない。彼の定義に従っても「モリカケ安倍黒幕説」は陰謀論になる。今現在の話だけではなく、wikipediaで言及されている陰謀論の言葉の歴史を見て思った。

もちろんこれは私の空想に過ぎない。日頃『陰謀論』を武器にネットの素人と戦う言論人の目に留まったら「これぞ陰謀論!」と吊るしあげられるような内容だ。

学者やジャーナリストといった権威ある人からそう言われたら委縮して黙り込むよりほかない。『陰謀論』というワードは実に恐ろしい。