コロナとマスコミ

マスコミが世論を先導する社会でいいのだろうか

私達は本当にメッシを見たいのか?格差社会

今回のワールドカップは何か月も前からテレビで宣伝されるような事もなく静かに始まって良かった。興味ない人まで巻き込んでお祭り騒ぎにしていた時代は異常だったと個人的には感じている。

ドイツ戦は日本の戦術変更が鮮やかに決まって爽快だった。ドイツがそれに対して策を講じなかったのは謎だが、戦力が個人の足し算にとどまらないサッカーの魅力がよく出た試合だったと思う。サッカー好きはこの後のドイツとスペインの強豪国同士の戦いも楽しみにしている事だろう。


強いチームのサッカーを見るのはやはり楽しい。トラップが乱れて敵にボールが渡って、を繰り返す試合はフラストレーションがたまる。しかし細かい事にこだわらなければ、どの国のサッカーでも十分に楽しめる。技術が最高峰より劣っていたとしても、自分より遥かに優れた能力の持ち主達が繰り広げる戦いだ。弱小と言われる国の試合でもその迫力に圧倒される。

 

さて、ここで表題のテーマについて考えてみたい。メッシのテクニックは最高だ。ボールが足元からまったく離れないドリブルを見ていると思わず笑ってしまう。バルサ専用機だなんて揶揄される事もあるが、プレーを見ていたらそれが不当な批判だとすぐに分かる。あのテクニックが通用しないわけがない。アルゼンチン代表の試合を見ると、もう少し動いてスペース作ってやればいいのにと思うし、周囲が気を遣いすぎて停滞してしまう感があるのは否めないが。

 

メッシは年に数十億円だとか百億円だとか稼ぐらしい。使い切れないような金額だ。ひるがえってJリーガーの稼ぎの話を聞くとその差に驚く。メッシは最高に上手いが、果たしてJリーガーの百倍、千倍優れているのだろうか?もちろんそういう単純な話でない事は承知しているが、そう問わずにはいられない。

私達はJリーガーのプレーでは満足できないのだろうか?

メッシでなく齋藤学のプレーでは興奮できなかったのだろうか?

どちらも一流である事に変わりない。並べてしまえばその差は目に付くかもしれないが、観戦して楽しむという意味ではJリーグの試合でも、齋藤学のドリブルでも十分感動できたはずだ。

もしも私達がテレビやネットでスペインやイングランドのリーグ戦を見るのをやめて、地元のサッカーチームの試合を見に行くようになったら、メッシとJリーガーの無残な収入差も縮まるのではないだろうか。

サッカー選手や選手を目指す子供達が超一流のテクニックを見られない状況というのは好ましくないが、観戦を楽しむだけの私達一般市民が超一流の技術に触れられなくても損失ではない。甲子園を見て感動できるのだから、必要なのは最高水準の試合でない事を私達は知っているはずだ。