コロナとマスコミ

マスコミが世論を先導する社会でいいのだろうか

統一教会と政治家をめぐる報道が怖い

統一教会と政治家(自民党)をめぐる報道(新聞週刊誌ワイドショー)が怖い。

日本が韓国に貢ぐべきなどという教義の宗教団体は潰れたほうがいいのは当然だが、政治家が会ったとか挨拶したとか。それは連日の集中砲火を受けるほどの悪事なのか?

安倍氏は殺されても仕方なかったほど統一教会に便宜を図ったのか?

 

接点が罪だと言うのなら、集中砲火を浴びせている側も統一教会の問題を知りながら長年見て見ぬふりしてきたのだから仲間だろう。安倍氏が暗殺されるよりずっと前に今のように糾弾すべきだった。

 

しかし、もし安倍氏の首相在任中に統一教会に解散命令が出たりしたらどうなっていただろう。「韓国嫌いのアベが強権を発動して弾圧した」と非難の嵐になっていたことは想像に難くない。

果たしてオウム真理教破防法適用に反対した人々は支持してくれただろうか。

www.nichibenren.or.jp

NHKのみんなの歌でジャニーズ 公共性ってなに

先日ラジオを聴いていたら真面目なアナウンサーの声で「次はみんなのうたです。曲はセクシーゾーン」というフレーズが流れてきて失笑した。NHKアナウンサーがセクシーゾーンと発音するのも笑えるし、みんなのうたでジャニーズを取り上げるのもおかしい。

大きなバックが存在する芸能人の歌は公共放送が取り上げないでもあちこちで流れるのだから、金の出所が違うNHKがわざわざ重複して取り上げる必要はない。

 

広告屋に支配されずに済む受信料収入があるのに、広告屋が治める世界に自ら足を踏み入れるなら民放と何も変わらないから受信料収入の特権はもう必要ないだろう。

 

安室奈美恵の引退や嵐の解散がニュース速報のテロップにあの効果音と共に流れた時も
思ったが公共放送とは一体何だろう。私には芸能人が仕事を辞めるという情報に公共性も速報する価値もあるとは思えない。

「みんなが知りたいことを知らせるのが公共放送だ」では定義が曖昧で「みんな」も「知りたいこと」も時と場合によっていかようにも設定できてしまうから、定義のすり替えができないようにもっと具体的にはっきりと「公共性」の定義をしてもらいたい。

共同通信が山上容疑者をアシスト

共同通信のこの記事はやばいね。

安倍派が最多と指摘する意味はなに?
安倍氏統一教会を結び付けたい記者の意図が見え透いている。

実際に結びついている?

では、安倍氏統一教会にどんな便宜を図っていたというのか。
統一教会が日本から女性や金を奪い去る行為に安倍氏がどんな風に協力していたのか。
(収奪をアシストしたのは安倍氏自民党ではなく、むしろ左翼教師や左翼知識人によって我々に刷り込まれた「日本人は韓国人に贖罪し続けるべき」論だと思うが。)

便宜を図った話が何も出てこないのに執拗に安倍氏統一教会の結び付きを印象付けようとする。エリートジャーナリスト達が、正当ではない暗殺犯の動機に正当性を与えようとする。

接点があるだけで、殺されても仕方ない空気に持って行かれるなら今後政治家は素性が明らかで社会に広く認知された団体以外と交流しないようになるだろう。切実な社会問題の陳情に来たNPOに対して「どこかの宗教団体の下部組織かもしれないから会わない」とか「違法行為を厭わぬ過激派が内部にいるかもしれないから関わらない」となるだろう。

 

これがジャーナリズムなのだろうか?
当のジャーナリスト達はこれでいいと思っているのだろうか?
この異常さを内部で批判する者は誰もいないのだろうか?
外から批判してくるやつはみんなネトウヨ、で済ませていいのだろうか?

岡秀昭氏の倉田真由美氏ツイート記事に対するコメント

テレビにもよく出演されていた医師の岡秀昭氏が倉田真由美氏のツイッターコメントにヤフコメで苦言を呈していた。

いわく「医療現場の実情をよく知らない方が発信することではない」と。そして倉田氏の意見を取り上げたマスメディアに対し、「このような内容のないニュースではなく疾病の正確な情報、信頼できる専門家の意見、患者や現場の事実を伝えて」と仰っていた。

もっともな意見だ。知識もないのに文句を言うな、はどの業界で働いている者でも言いたくなる言葉だろう。常日頃から文句ばかり言われている官僚や政治家も心の中ではそう思っているに違いない。

だがもちろんそれを口にしたりしない。

 

民主主義社会は専門家が支配する社会ではなく、市民一人一人の判断の積み重ねの上に成立する社会だからだ。愚かな意見だとしても決してその人の口を塞いだりしてはいけない。力ある立場の者が力なき一市民の口を塞いではいけないことを知っている。

医師は権力者だ。医師が患者に対してどれだけの権力を持っているのか考えてほしい。患者は命を人質に取られているのだから医師に対して政治家以上の力の差を感じている。口ごたえなんてできない。いつも機嫌を損なわないように顔色を窺っている。時に医師の言葉は政治家以上に力を持つ。岡氏には自身が社会で力を行使する側にいるということを理解してほしいし、ヤフコメで一市民のツイートに噛みつき言論を抑制させるような行為は慎んでほしい。

 

マスメディアに対する岡氏の批判、これももっともである。マスメディアは新型コロナ報道でネガティブ情報にバイアスを掛けて発信すべきではないし、そうやって我々の行動のコントロールを試みるべきではない。市民に正しい判断を行うための情報提供をするという本来の役割に専念すべきである。

そのためには煽情的なネガティブ情報ばかり提示する専門家の意見だけでなく、統計を理解した専門家、数字に基く冷静な情報を提示できる専門家にもテレビ出演を依頼し、その意見も同様に伝えるべきである。

安倍元首相暗殺はデマ、誹謗中傷、ヘイトスピーチを放置した結果では?

5ちゃんねるでは何年も前からしつこく書き込まれていたが、安倍元首相と統一教会の関係性などというのは真偽不明の不確かな情報である。普段「ネットのデマを許すな」と騒いでいる人達が、この不確かな情報が原因で実行された暗殺を非難するどころか、補強しようとあれこれ引っ張り出してきている姿を見ると戦慄する。

それで、殺されることが正当化されるほどの関係性は見つけられたのだろうか?

統一教会幹部より重い責任が安倍にあったというのだろうか?

 

近年、反安倍派の憎悪は怖いくらいに膨れ上がっていた。大学教授やジャーナリスト、政治家までもが安倍氏へのヘイトを公言している様を見て、私は恐怖を感じていた。彼らが何かする前に政権交代が起こった方がいいのではないかとさえ考えていた。社会的地位のある言論人の言論を止める術はないから憎悪に歯止めがかからなかった。だから安倍氏が退陣した時は少しほっとした。

政治家のこういう活動や、大学教授やジャーナリスト、ミュージシャンなど社会的地位のある人達の垂れ流すヘイトスピーチが言論業界で許容され続ける空気は、犯人の安倍氏殺害のハードルを下げるのに一役どころではなく買っただろう。

 

リベラルを自称し自由や民主主義を掲げる知識人の方々は、常にリベラル思想の本質に思いを巡らせていてほしい。そして自分達の言動がその理想から逸脱していないか、崇高な思想を汚していないか、自分自身を省みる思考力をどうか身に着けてほしいと願う。

Nスタの街頭インタビューでウクライナ難民とウィシュマさんの話が

今日Nスタ見てたら、ウクライナからの難民を日本が受け入れるのをどう思うかという街頭インタビューで、先日問題になった入管施設で死亡させられたウィシュマさんの事件を挙げて日本は受け入れ態勢を整えなければいけないと思うと答えている人が映っていた。

ウィシュマさんの事件は単純に難民受け入れ態勢の不備で片付けられる問題ではない。不法滞在者による難民申請濫用という問題が根幹にある。

何でこの問題がいつまでも改善されないのだろうかと不思議に思う。「難民申請は濫用されているわけじゃない」という主張もあるのだろう。一度、テレビでこの具体的な数字を示して難民申請が適正に行われているかどうかを市民に判断してもらえばよいと思う。テレビだと一部の局を除いて「濫用されている」という主張をまったく伝えないから市民が問題を把握できないままになってしまっている。

 

報道という意味では街頭インタビューという手法は危ない面があると感じた。一般市民は社会問題の争点を必ずしも深く把握していない。問題を把握せず誤解したまま答えてしまいその映像が垂れ流されると世間に誤解が広まってしまう。もちろん報道する側が気を付ければいいが、彼らも人だからうっかり流してしまうこともあるだろう。

市民の声ならば誤情報だとしても報道の責任は追及しづらい。

しかしよく考えてほしい。

例えばの話だが、街頭インタビューで「オリンピック反対デモが金で動員されている」という誤解を誤解したまま話してしまった人の映像があったとして、それを報道機関が流して良いだろうか?

街頭インタビューにも気を付けてもらいたいものである。

テレビ出演者へのマスク要求、メディアの自業自得

テレビ出演者が少なくない視聴者から「マスクしろ」と批判されているのは彼らの自業自得である。当初から専門家の間でも新型コロナの脅威度判断は分かれていたのだから、両者の見解を紹介し冷静な判断を促す報道をすればよかった。それを一方の意見は封殺して脅威論ばかり取り上げ続けてきたのだから「そんなに脅威なのに何であんたらは狭いスタジオでマスクすらしないの」と指摘を受けるのは当然である。

 

彼らがマスクもせず無意味な透明パネルを立てただけで満足しておしゃべりし続けるのは何故なのか。それは彼ら自身、自分達が煽っているほど新型コロナが怖くないことを知っているからである。もし本当にコロナが社会の脅威だと信じているのなら、感染者を出し続けているテレビ局が、そんな無防備で無責任な番組作りをし続けられるわけがない。

 

2類5類の話は初期の頃より医師の間からも出ていた話だったが、いまだにこのワードをテレビのニュースで聞くことがない。なぜ医療が混乱し、すぐに崩壊騒ぎになってしまうのか。変更するしないは別にして、私達にアイディアくらい教えてくれてもいいではないか。社会の問題はみんなで共有してみんなで解決していくのではなかったのか。ジャーナリストはそのための存在ではなかったか。

結局、私達の判断力を信用していないから、こうやって情報を隠そうとするのである。

「人々にあれもこれも情報を与えたら混乱して社会全体が間違った方向に進んでしまう。」

「私達は大きな影響力を持っているから、人々を正しい方向へ導かなければならない。」

コロナカのジャーナリストの行動からはそんな思いが透けて見える。

社会に「正しい方向」が存在していて自分達はその正しさを知っていると言うのなら、民主主義という看板は即刻下ろしてほしい。