川勝知事の発言とマスコミと森元総理
川勝知事の女性蔑視発言について、これは本人が弁解する「舌足らず」という話ではなく単純に川勝氏が日頃から抱いている男女観が出てしまっただけで、これからの社会をリードしていくには不適格な志向の持ち主だとは思うが、この手の失言で職を辞するところまで追い込むのは違うと思う。
選挙で県民の意思により是非を決めるべきであり、法に則った道筋で決定すべきことと思う。その意味では投票日前にこの報道がなされるべきだったと思うが、その辺は色々事情があるのだろう。
一つ気になるのは森元総理の時とマスコミの扱いが違う点。発言の種類、重さは同じ、あるいはより酷いくらいだと思うが、森元総理の時のような連日の苛烈な批判がテレビ新聞で巻き起こらなかったのはなぜだろう。
オリンピックと静岡県では舞台の大きさが違うとでも言うのだろうか。権力者の人権問題発言に舞台の大きさは関係ないはず。
こういうダブルスタンダードをやっているからジャーナリズムは信頼を失う。それだけならまだ良いが、大切な男女平等運動自体に傷が付いてしまう。自分の攻撃したい対象は人権問題で追及し、守りたい対象の同じ言動は追及しない。これでは一般市民から「ああ、人権擁護運動ってそういう便利な道具なのね」と冷たい目で見られるようになってしまう。
メディアに「川勝氏を叩きまくれ」と言っているのではない。森元総理の時のマスコミの追及が異常だったのではないかと言っている。
紅白歌合戦をやるNHKがジェンダー問題を訴える愚
NHKでジェンダー問題を頻繁に取り上げている。男らしさ、女らしさといった社会的文化的に作り出された性差をこえてありのまま生きられる社会にしよう、とのこと。
ところでNHKは今年も紅白歌合戦をやるのだろうか。男を白、女を赤、と性別に色を当てはめるのはジェンダー論的にアウトである。先日もどこかのトイレのカラーリングで問題になっていたはずだ。
それに加えて現代は「男女どちらかにはっきり分けられない人もいる」というのが共通理解になりつつあるわけだ。どうして人を性別で振り分ける番組が今もなお続けられるのだろう。氷川きよしがどう感じるのか考えないのだろうか。
仮に男性自民党議員が支援者を集めて紅白カラオケパーティーを催したとしよう。それが明るみになったとき、果して議員辞職だけで済むだろうか。
なぜNHKだけ見逃され続けているのか分からない。「伝統だから」が許されるのならもはや誰も差別を糾弾できなくなる。
NHKは視聴者に社会問題を訴える前にやることがあるはずだ。
都道府県魅力度ランキング問題を国別ランキングに置き換えてみよう
都道府県の『魅力度ランキング』、群馬県知事が「法的措置も検討」と抗議。調査会社は「本気でおっしゃっているとは…」(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース
知事の器が小さいだとか県民として恥ずかしいという声が上がっている。
日本国内の話だから何が問題なのか分からないのだと思う。
たとえばこれが国別の魅力度ランキングだったとして最下位になった国から抗議が来たとしたらどうだろう。「あの国の大統領は器が小さい」と大きな声で言えるだろうか? 「ネタにすればいい」とか「笑い飛ばせばいい」で済む話だろうか。
差別を助長する話題だから、少なくともマスメディアで取り上げていいネタではない。ましてや面白おかしく取り上げていいはずがない。
国別でやってはいけないことなのだから都道府県別でも同じこと。そこに所属し、生活している人がいる。国籍ほどではないにしろ私達はその属性に多少なりとも縛られている。最下位の都道府県を毎年マスメディアで面白おかしく取り上げていたら、出身地ネタでからかってもいいと思い込んでしまう人も出てくる。
お笑い芸人ならそれを「おいしい」と転換できるかもしれないが、真面目な人は自分がその地域出身であることを嫌になってしまうかもしれない。大半の人はそんなこと気にしないとしても、そういう人がいるかもしれないと想像することが大切である。そういうようなことを言っていたのは誰だったか。
そんな世の中つまらない。その通りだ。だがそれこそがすべての人の権利が尊重される自由で平等な社会の正しい姿である。
「撮り鉄」名指し報道と差別
撮り鉄が違法行為を働いた、というこのニュース。
線路に侵入容疑、「撮り鉄」2人を書類送検 中央線が30分止まる:朝日新聞デジタル
NHKのニュースでも同じ「撮り鉄」の見出しを付けて放送していたが、これは彼らの報道ポリシーに反していないのだろうか。
例えば外国人が日本で犯罪を犯したとしてニュースで「『〇〇人』が犯罪を犯しました」と人種を強調するような見出しは付けないだろう。猛抗議が来ると分かっているはず。特定の人種と犯罪を結びつけるような報道は許されない。普通に生活している外国人が差別の対象になって攻撃されてしまうおそれがあるからだ。
「撮り鉄」も同じだ。違法行為を働いたのは一部の撮り鉄であって、撮り鉄全体が悪いわけではない。仮に撮り鉄の多数が迷惑行為を働いていたとしても同じこと。「『撮り鉄』が悪いことをした」という報道は真っ当な鉄道写真愛好家を不当な攻撃にさらす危険がある。
差別問題を頻繁に取り上げている報道の人間なら当たり前に理解していることではないだろうか。この間のアニメ趣味と犯罪者の連想を促す報道もそうだが、普段差別問題を糾弾する報道の人達がなぜこんな単純な過ちを繰り返すのか分からない。
人種差別はまずいけど、撮り鉄差別、アニオタ差別は構わない、でいいのだろうか?
それで、差別のない世界が実現できるのだろうか?
抗議が来なければどうでもいいのだろうか?
NHKスペシャル「揺れるアメリカ分断の行方」で扱われなかった分断の原因
去年放送された、アメリカの大統領選をめぐって社会の分断が進んでいるという内容の番組。トランプ支持者とバイデン支持者、双方に密着取材して、その言い分、事情をよく汲み取っていた。公平に伝えようと努力する姿勢が感じられた良い番組だったと思う。
しかし、この番組では分断を扱う上で最も重要な要素が完全に抜け落ちていた。
マスメディアについてである。トランプやその支持者がよく口にしていた、フェイクニュースという言葉。彼らがなぜCNNを敵視していたのか。チャイナニュースネットワークなどと呼んだりしていたのか。そういうことに一切言及がなかった。トランプ支持者を取材してマスコミ批判が出てこないわけがない。
よく取材できていたのに、なぜこの部分にまったく触れなかったのか理解に苦しむ。
自分達が分断の原因になっていることを認めたくなかったのだろうか。
ワクチン投与群と偽薬群で死亡率が同じという記事
この記事について。
ワクチン接種者と偽薬接種者の死亡率が同じ ファイザー公表データの意味(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース
この記事で言及されている元の論文は下記。こういう記事書く時は元の論文にアクセスできるようにしておくべきだ。
Six Month Safety and Efficacy of the BNT162b2 mRNA COVID-19 Vaccine | medRxiv
この論文のデータから読み取れるのはワクチンが意味ないとかワクチン打つと死亡率が上がる、ではなく「ワクチンは有効だけど、そもそも新型コロナで死んだ人が少なかったから死亡率の低減には寄与しなかった」ということだろう。
偽薬群はワクチン群より感染者数が8倍くらい多いからワクチンの効果は明らかである。死亡者数は何か言えるほどの数が出ていない。心筋梗塞での死亡がワクチン群に多いように見えるが、この数では誤差か否か判断できないだろう。
だからこの論文はファイザーのワクチンに不利な結果ではなく、ワクチンは普通によく効きましたという結果が載っているだけ。
ワクチン不信を煽る方向に重み付けされた記事で感心しない。
まぁ、血栓リスクのアストラゼネカワクチン怖い、とか、新技術ワクチンの未知の影響が怖い、という感覚は自然だとは思うので、コロナで死なない若年層がワクチンを接種する意味がどこまであるのか、的な議論はあってもよかった。偏った情報供給のせいでパニックに陥ってしまった日本では無理だっただろうけど。
東京の重症者増加が止まったら全国の数を取り上げ「過去最多です」
NHKのニュースで毎日重症者数を読み上げ「過去最多です」とやっているが、これまでは東京都の重症者数を扱っていたが、ここ数日は日本全体の合計重症者数を読み上げている。
不思議に思って調べてみると、東京の重症者数はここ数日増加しなくなっている。
「過去最多です」ができなくなったから東京をメインに扱うのはやめたということか。そしてそれができる全国の重症者数をメインに据えることにした。
疑うことなくニュースを見ている視聴者は、東京でピークアウトの兆しが出ていることに気付くことなく事態がひたすら悪化し続けていると思ってしまうことだろう。
比較というのは同じ基準でやらないと意味がない。「過去最多です」をやりたいから急に取り上げるカテゴリーを変えるなんて行儀悪い。せめて東京の重症者増加が止まったことをあわせて伝えるべきである。
「警戒してもらわないと人流抑制できない」
それはテレビがコントロールすることではない。市民の動きを制御するために情報の伝え方を歪めるのは成熟した民主主義国家にとって正しいことだろうか?