コロナとマスコミ

マスコミが世論を先導する社会でいいのだろうか

五輪以前に現状の入国者数は気にしないの?

コロナ問題でオリンピックばかりが争点になってしまってマスコミの力は本当にすごい。

感染症対策で大切なのはまず水際だろう。
オリンピックをやろうがやるまいが、日本は現状でも月間数万人の入国者がいる状況である。2021年4月は5万人。そのうち外国人は17,558人。

www.e-stat.go.jpこの数字を見て驚く人は多いと思う。
現状でも月間数万の人が海外から入ってきているこの事実を一体どれだけの人が知っていただろう。この数字を知っていたら議論の争点もおのずと変わっていたのではないだろうか。


「オリンピックで変異種が入ってくる」と騒いでいるが日本にはすでに変異種が入っているのだ。感染者の強制隔離もできないザル管理体制でこれだけ入国させていれば当然だろう。

 

しかし不思議なのはウイルスの変異による弱毒化の可能性には一切触れず、ひたすら「変異種こわい」をやってきたテレビ新聞が「変異種を招き入れてしまった日本の水際対策不備」を大して叩かなかったことだ。この不備が見逃されたままならオリンピックをやろうがやるまいが今後も変異種が流入し続けるだろう。なぜ彼らは本質的な問題である水際対策の話題を避けて、五輪を標的にし続けるのか。

 

おそらく水際対策を追求すると、人権、憲法、の問題にぶつかるからあまり触れたくないのだと思う。しかしここを改善しないと、今回のウイルスはまだ症状が軽い方だから「瀬戸際」を4、5回迎えただけで済んでいるが、次、SARS、MERS級が発生した際に為す術なくやられてしまう。

 

命に直結する重要な情報を伝えようとしないテレビ新聞を「オピニオンリーダー」の地位に置いたままで私達の生活は守られるだろうか。

これがジャーナリズムなんだ

新聞はすごい。まずこの記事。

無観客が決定する前、自分達が何を言っていたのか忘れてしまったのだろうか。いくらなんでも節操なさすぎだと思うが、記者もこれが仕事だから仕方ない。みんな生活があるしお金は稼ぎたいからね。だから記者を責めてはいけない。


大切なのはこれがジャーナリズムなんだとみんなが知ること。

 

みんなジャーナリストに公平な視点というのを求めがちだけど、それは根本的に間違っている。ニュースを偏りない視点で伝えることなどできないし、彼らもそんなことするつもりはない。そもそも何を取り上げて何を取り上げないのか、情報の生殺与奪が彼らに握られている時点で公平さなど期待できないと分かるだろう。

 

彼らには彼らの生活があり、彼らの信じる正義がある。正義のためなら敵を討つし、生活がかかるなら道理も曲げよう。彼らも普通に生きる普通の人間だ。まぁ普通の人はなかなかここまで振り切れないけど。

 

公平性などと言って変に報道を神聖視せず、政党や宗教と同じ特定の目的・志向を持った集団だと認識すれば、そこから提供される情報への接し方も分かるというもの。

 

日本は国民の新聞雑誌テレビへの信頼度が他国に比べて高いという。

ジャーナリストは必要な存在だから報道を規制するような方向に進んではいけないけれど、こういう不誠実な報道を平気でしてくるわけだから、私達も他国並に冷めた目でマスコミを見なければいけないと思うよ。

大越さん

政権に批判的だったような印象はないんだけど、というか有馬さんも含めてNHKのキャスターからそういう感じを受けることはなかったんだけど。この業界で生きているのだから当然反権力的な姿勢は持ってるだろうけどニュースでは色は出さないようにするよね。出たとしても感じ取ろうとすれば感じ取れる程度なのでは。二人とも爽やかでいい感じだった。

 

大越さんはニュース9だったかで多分政治汚職かなんかのニュースだったと思うけど、最後にやや憤慨しながら「私たちの税金を・・・きちんと使ってほしいですね」的なコメントをしていたのが印象に残っている。私はそれを聞いて「あ、税金使ってる側の意識ないんだ」と思った。受信料は納める側からすれば税金と同じ。NHKの人も「自分達は公務員」的な意識を持っているものだと思っていた。

 

NHKの人達は受信料をどう思っているのだろう。受信料の徴収に年間何百億円も掛けている事実をどう思っているのだろう。汚れ仕事を外部に委託しているのを変だと思わないのだろうか。

私だったらこういう組織に所属しながら他者批判は恐ろしくてできない。批判がそのまま自分に返ってくると分かるから。もちろんジャーナリストが権力批判できないようでは問題だから私の方が間違っている。

 

しかし少し省みてほしいとは思う。もしかしたら自分達はすごくおかしな組織に所属しているのではないか、もしかしたら自分達の給料は真っ当ではない方法で集められた金なのではないか、そんな自分達が正義を説いたら聴衆が白けるんじゃないだろうか。

無観客決定後のインタビューのむなしさ

「無観客が決まって観光業界が困惑しています」ってニュースで言って業者にインタビューとかしてるわけだけど、どうしてその取材を決定前にやってあげないのかね。選手も今さらインタビューされて「お客さんいた方がいいですけど・・」て答えてて、そういう声を無観客が決定される前にも放送してあげればよかったのに。そうすれば世の中の人達も、もう少し幅広い判断材料を得られたはず。この決定がどこにどれだけ影響を与えるのか総合的な判断をするための材料にできたはず。

 

まあ・・・決定前のあの雰囲気でうかつに「無観客だと困ります」なんて言えないから、同じことか。

「コロナヤバイ」以外認めない報道

コロナ報道は不安を煽るくらいでいい。

ニュースを見ていると作り手のそういう思いはよく伝わってくる。

 

・ウィルス変異の脅威ばかりを伝え、弱毒化していく可能性は絶対に伝えない

後遺症以外の可能性が十分に考えられる脱毛を後遺症と断定するように報道する

・新型コロナの脅威度については医師の間でも様々な見解があるのに「とにかく危険」以外の声を絶対に視聴者に届けない。

www.dailyshincho.jpなぜこういう意見はテレビで少しも取り上げてもらえないのだろう。

毎日同じ専門家が出て同じことばかり言っているのはなんなのだろう。意見の多様性、多角的なものの見方とは何だったのだろう。

 

恐ろしいことに新型コロナの影響をさざなみと称した学者がその発言を責められ辞任に追いやられた。物事に色々な見方があるのは当然だったはず。間違っていると思うならその誤りを論理的に指摘すればいい。そうやって議論を深めていくことが民主主義だったのではないか。

しかしこうなるとまともな議論を期待するのはもう難しい。新型コロナの影響を少しでも甘く見る(統計的に把握し、他の感染症と比較しながら対策を考える)と人でなしの烙印を押されてしまうのだから。

 

マスメディアにはオリンピック開催に進む政府を「まるで戦時の日本だ」と言う人もいる。しかしそれを言うなら「コロナやばい」以外の言説を認めない彼らの姿こそ「日本勝利」以外を許さなかった当時の日本と重なって見えるというもの。

 

甘い見込みを示して人流が増大し感染拡大したら、という懸念はあろう。しかしそれをコントロールするのは報道の役割ではないはずだ。ジャーナリズムとは市民の行動を制御するために、伝える情報を取捨選択する行為を指す言葉ではなかったはずだ。

 

新型コロナで不安を煽ると視聴率を稼げるのかもしれない。憎い政府を打倒する絶好の機会なのかもしれない。ジャーナリストにもそれぞれ色々な思惑はあると思う。しかしいい加減市民を馬鹿にした煽情報道や、公表済みの陽性者数を読み上げて「感染拡大に歯止めがかかりません」と言うだけの報道は止めて、まともな議論に資する情報、つまり学術誌に数多掲載されている統計学を駆使した多様な分析結果を伝えるような真っ当な報道をしてほしいものだと切に思う。

「命と○○どっちが大事なんだ」論

命は大事だ。しかしそれが常に最優先にならないことは、この社会で不通に生活していれば当たり前に分かることだ。もし命が最優先なら今すぐ自動車はなくすべきだし、アルコールも禁止しなければならない。

 

そうならないのは自動車利用で得られる利便が事故で奪われる年間数千(かつては万単位)の命より「重い」と判断されているからだし、アルコールにより得られる快楽が健康被害や飲酒運転により奪われる命より重いと判断されているからだ。「判断なんかしていない」と言う人がいるなら「黙認されている」に置き換えてもいい。

 

要するにみんな「命が最優先ではない」ことを知っているはずなのだ。

命が失われるリスクと社会が得る便益はいつも天秤にかけられている。その天秤が釣り合う場所、リスクを許容するラインは人それぞれ違う。

 

私は自動車事故で奪われる命の多さはもっと目を向けられるべきだと思うし、アルコールで損なわれる人々の健康を思えばアルコールはもっと制限されるべきだと思う。しかしこの意見はあまり多くの賛同を得られないだろう。

 

だからと言って私は賛同しない人々を「命を軽視する薄情者」と非難したりしない。人それぞれ価値観は違い、そこに善悪がないことを知っているし、異なる人々が集まって生きる社会では、ある程度の妥協が必要なことも知っているからだ。

 

社会の問題は常に「どこで妥協するか」だ。天秤が釣り合う位置を皆で探っている。それなのに「命と○○比べたら命が重いに決まっているだろ!」とゼロイチの判断を求めるのは非常にたちが悪い。市民の間でそういう声が上がるのは理解できる。それは自然な感情の流れからあふれ出た思いだ。しかし政治家やジャーナリストといった「オピニオンリーダー」がそういう筋の悪い議論をふっかけているのを見ると脱力してしまう。

 

政敵を倒さなければ先に進めない彼らにとってそれはやむを得ない行為なのかもしれない。しかし軽薄な言葉で民衆を扇動しようとするリーダーに多くの市民の支持が集まるものだろうか。

 

オリンピック開催で得られる便益は何なのか、どれほどの命が失われるリスクにさらされるのか。中止にした場合どれくらいの命が救われ、代わりに何を失うことになるのか。具体性を持った現実的で理知的な議論を望む。以前紹介したように新型コロナの影響については学者が色々なシミュレーション結果を出してくれている。感情ではなく理性に基づいた議論ができる素地は十分にあるはずだ。

『この状況』でオリンピック

とよく耳にするけど、もとより他国に比べて感染者の少ない日本が、高温多湿の季節を迎え感染も収まっていく中で「この状況なので」とオリンピックを中止にして他国に理解されるのだろうか。「他国の理解よりも人命だ」という意見が出るのは予想できるが命を盾に取って議論に蓋をするのはよくないと思う。それについては別の機会に書く。

ワクチンによるコロナ終息という道筋が世界中、特に欧米で見えているこの状況。日本でも目先の感染者数は減っている上、ワクチン接種率も上がっているのに「この状況でオリンピックは無理」などと言ったらさすがに訝しまれるだろう。

そもそも、この日経ニュースにも取り上げられているようにオリンピックを開催しても感染状況に大きな影響は出ないというシミュレーション結果が出ているわけだけど、中止を訴えているジャーナリストの人達はこれについてどう思っているのだろう。

反論するデータや知見を持ち合わせていないのならこの研究結果を議論に組み込まなければならないと思う。西浦教授のシミュレーション結果では大騒ぎしたのだから、こういう研究自体がナンセンスだという立場ではないだろう。

自分たちの主張を補強する資料以外は取り上げないでは、まるで「自分の見たい真実以外に見向きもしない愚かなネット民」ではないか。